「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」って変だよね

 井の中の蛙大海を知らず
されど空の青さを知る

この言葉には違和感がある。なんかスッキリしない。なぜだろう?

井の中の蛙大海を知らず」は「世間知らず」の意味で使われる。辞書を引くと「狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らずにいること」だそうだ(明鏡国語辞典)。原典は荘子の秋水篇。

続く「されど空の青さを知る」は、日本人があとからくっつけたらしい。別にそれはいいんだけど、意味が通ってなくない?

いや、小さな世界にいたからこそ、空がどれだけ青いか気づくことができたみたいなニュアンスだということはわかる。本当に大切なことは知っている、あるいは、どんな場所にいても本質を知ることはできるんだ、みたいな解釈もわからないではない。

でも、「世間知らずだね」という言葉に対して、「だけど空の青さを知っている」と返すのは変じゃない?

たとえるなら、

「Aさんは世間を知らない」
「だけど、家の心地よさを知っている」

みたいな感じだろうか。「いや、そんな話してないから」「みんな家の心地よさは知ってるから」って。

むしろ、外の世界を知っている人の方が、家の居心地のよさを痛感しているのではないか。だって、仕事から家に帰ってきたときの安心感は、ずっと家にいたらわからないじゃんね。比較対象があるから、相対的に知ることができるのだ。別に家にいることが悪いとかじゃなくて。

となると、世間知らずと言われた人が「だけど、家の心地よさを知っている」って、ただの負け惜しみというか、開き直りというか、なんか残念な言い分に思えてくる。

まだ狭い世界にいなければわからないことであれば納得できるんだけど。たとえば「10年家に籠もり続けた者だけに開かれる扉がある」とか。外に出た者は絶対手に入れられないもの。そういうものでなければ「されど」と対抗することはできない。

空の青さは誰でも知ることができるからね、地下にいるとか目が見えないなどの事情がなければ。

井の中の蛙大海を知らず
されど空の青さを知る

これ、なんかいいこと言ってる風なところが気にくわない要因の一つなのかもしれないな。